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フィリピン人とテリトリープライド [仕事編]

私の会社はここに出来て13年になる。
なんて事のない製造工場であるが、フィリピンにある日系企業の中では『老舗』にあたる。

当然、長い分だけ体質も古くなっており、従業員も至極わがままである。
わがままというのは、自分の義務よりも権利の方を多く主張するようになった、ということである。

例えば「バースディーリブ」、自分の誕生日には有給で休みが取れるのだが、どうしても納期に間に合いそうにない時、何とか休暇日の変更をお願いしてみるのだが、受け入れられたことは一度もない。

あらかじめ、休みが分かっているのだから、誰かが代わりをやってくれればいいにだが、自分のテリトリーを他人に任せるのがいやだ、とか言って渡そうとしないし、又、他の人間も進んで自分がやろうとは言わない。

フィリピン人の誰もが、自分のテリトリーには非常に固執する。
『一所懸命』のことばどおり、『一つの所に命を懸ける』だ。

先日行われたフィリピンの中間選挙もそうである。
ある地方で開票中、敗色が濃くなった現役町長が、手下を使って開票所を人もろとも、焼き討ちしてしまった。
おそらく選挙の無効を訴え、再選挙に持ち越そうとしたのだろうが簡単にバレた。
お粗末としか言い様がないが、それもこれも、自分の立場と利権を守ろうとした結果である。

同じことが会社の中でもいえ、全てがテリトリープライドに取り囲まれ、不自由なことこの上ない。

この壁を打ち破ることこそが私の仕事だ!

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フィリピン人とフェスタ [仕事編]

前回テリトリープライドについて述べたが、今回はフィリピン人の地域主義について私見を語る。

日本でもそうだが、祭礼になると地域が異様に盛り上がる。
格差が開いてきたといわれる日本だが、その反動の様に、こと祭りとなると地方にも活気が戻り、人々の顔もいきいきと輝いてくる。

「昔程じゃないさ」、と土地のお年寄りたちは言うが、まだまだ地方の祭りはそれぞれ独特の特色があって、見ていて楽しい。
フィリピンも主要な祭りは日本と同じように、『神』もしくはその使いを祭神に掲げて行列をしたり踊ったりする。
見ていて華やかで、といっても男の性で女性しか目に入らないのであるが、結構飽きなくて楽しい。

あとあるのはバランガイを中心とした、個々の小さなフェスタである。
これこそが今日の主題だ。

フィリピンは、国全体が42,000弱のバランガイから構成されている。
バランガイとは、最小行政単位の自治体組織であるが、その期待されている役割は日本人が考えているより遥かに大きい。
その長(おさ)は選挙で選ばれ、バランガイキャプテンと呼ばれている。
そのキャプテンを中心に自治組織も警察とは別に構成され、独自に地域内のパトロールの他、軽犯罪や近所、家族の揉め事まで携わっている。

日本人でも、この国の人と結婚した人が、揉め事から家族に暴力を振るった、とかで、このバランガイのお世話になるケースも結構耳にする。
夫婦、家族であっても簡単に訴訟に走るのがこの国の特色だ。

話が逸れたが、要するにそのバランガイに所属する以上、そのルールを守るのはもちろん、同住民から嫌われるようなことがあると、殆んど死を意味するようなものである。
日本でいう村八分だが、残念ながら今の日本で地方においても、先述の通り祭礼の時意外は、人々の干渉が薄くなってきている。
ここフィリピンではまだまだ濃厚にそれらが生きており、現役で衆知監視が機能しているといっていい。
但し隣のバランガイと喧嘩になった場合、バランガイ同士で喧嘩ということも多々あり、珍しくない。
要するに地域の住民の密着度や繋がりは日本の現在のそれと比べると、想像できないほど固いというべきである。

さてフェスタ、これが我が社の従業員の皆さんの、住居であるバランガイで行われるとなると話は別だ。
とたんに私の頭が痛くなってくる。
『勝手』、とは言わないが、とっとと有給休暇を取って休んでしまうのだ。
地域の大事なフェスタなので、出ないで仕事に行くとなると皆からひんしゅくを買うのかどうかは知らないがが、溜まったものじゃない。

そうなると私は、「あーまたまた納期がー」と頭を抱えてしまう。
一つのバランガイから三人来ていると三人とも休んでしまう。これではもうお手上げだ。
ご丁寧に他の奴までもが定時で帰ってしまう。
いわゆるお呼ばれに行くのである。
『他の人間まで誘うな』と言いたいのだが、呼ばれるほうも呼ぶほうもこれが楽しみなので私では干渉出来ない。

そこで疑問、何で日曜日にフェスタをやらないの???

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『フィリピンで働く』ということ [仕事編]

新しい週が始まった!!
週末のデリバリーに向けて、よし今週こそデリバリー達成するぞ、と心でいつも誓うのだが、フィリピンパワーに負けて、土曜日に近づくに従い、テンションが落ちていくのも事実だ。

毎週月曜日は工場のお祈りの日である。
朝8時、工場長始め総勢五人、工場の四隅と真ん中、計五箇所に線香を立てて、皆でいっせいに土地神様?にお祈りを捧げるのである。

いつからの慣習かは知らないが、どうも創業当時かららしい。
悪いことではないのだが、工場がやたら広いには閉口する。
敷地面積が、45,000?もあるので、そう簡単には終わらない。
早歩きでも、たっぷりと30分以上はかかってしまう。
只でさえ忙しい月曜日の朝に、30分以上ははっきりいって辛い。

汗も相当出て、メタボリック症候群の予備軍である私にとっては、願ってもない運動なのであるが、汗をかいた後、服を着替えないと終わった後でオフィスに戻ると、エアコンに冷やされて風邪をひいてしまう。
工場の中程に祠(ほこら)を立てて、そこ一箇所だけを拝みましょう、という計画もあったのだが、未だに実現に至らないので全部拝んでしまっている。

さてこの日記、一体いつまで続くか分からないが、出来れば事情が許す限り続けていきたい。
「フィリピンで働くということ」の意義を、何とかこの日記で見出していきたいのであるが、この日記を単なるフィリピン批判や愚痴の場所にしたくない、と考えている。

時には辛辣な表現や、言葉を使うことがあるかもしれない。
しかし、あくまでも私が目指すのは、『日本人とフィリピン人の相互理解』を、最終目標として掲げたい。

『相互理解などと、何馬鹿いってんの』、と言われそうだが、日本で暮らすフィリピン人でも日本に住む以上、多少なりとも日本人の習慣やしきたり、考え方を理解しようとするであろう。

だがフィリピンで仕事をする日本人の多くはは、現地の事情、風習に馴染もうとせず、やたら日本のスタイルを一方的に押しつける傾向がある。
これでは、一生掛かっても相互理解など出来はしない。

ただ私は,闇雲に相互理解などと言っているのではない。
先ず日本人の方から、フィリピン人の方を理解をすべきである。
ここがフィリピンである以上、ましてこの国で働く上において、それは当然なことだ。

彼らを理解した上で、自分なりの工夫、やり方を相手に理解してもらう、ということが、彼らのコンセンサスを得られるただ一つの道だと私は信じている。

愚痴や、批判だけでは何も変わらないし、反って相手の反発を招き、結局は何も出来ないままにおわるであろう。
現にそうして、このジレンマに於いてノイローゼに罹り、日本に帰らざる得なかった人の例もある。

私はここに来て11年になるが、フィリピン人に騙されたこと数え切れず、泥棒に入られたこと三回、置き引き二回、スリにやられたことも一回あった。
絶望のあまり、首を纏りかけたこともある。

そういったことも、いずれ追々と記事にして行こうと思うが、日比友好に長年にわたり貢献された今は亡き、大澤 清さんが、生前よく言われていたそうだ。

『フィリピン人に騙されたり、泥棒に入られたりするのは、この国の人に対するあなたの愛情が足りないせいだ』と。

至言だと私も思う。

フィリピン人のいい所、悪いところを知った上で上手につきあう、というより全てを知った上で、愛情をもって接していく事だけが、フィリピン人を理解していく一番の近道だと、私は考えている。

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フィリピン人とパキキサマ [仕事編]

完全に雨期に入ったせいか、毎日のように雷が鳴り、時々停電が起きる。
うちの会社は、これがあるともう大変!
一度稼動してしまうと、ノンストップで運転し続けないと、いけないマシンが多すぎるのだ。
ジェネレーターをすぐに作動させても間に合わないこともしばしば、機械そのものにも、かなり悪影響が及んでしまう。

とにかく、創業13年であり、機械は全部古いときている。
当然、従業員様の頭もコチコチ!!

どうやって頭を柔らかくしてやろうかと、あの手この手を使ってみるのだが、思うようにはいかない。
前回話したように、テリトリープライドが邪魔をして、効果的なイノベーションが望めない。

おまけに閉鎖的な地域主義(小集団)ときている。
大昔から、よそ者を排除することには敏感だったと思えるが、他を排斥することに長けている点、新規の決め事とかには特に、本能的に反発してしまう傾向がある。

フィリピンには『パキキサマ』、という言葉があるが、通常は『相互扶助』、と訳す。
この国の人たちは、フィリピンホスピタリティ、だといって自慢するのだが、この言葉にはネガティブな方向にも引っ張っていくという副作用がある。

仲間内でも、成り上がる者には平気で足を引っ張る、というクラブメンタリティもそれだ。
『お前だけいい目を見るな』、『駄目な時はみんなで駄目になろう』、という変な仲間意識も働く。

うちの会社も従業員の中である程度見込みのありそうな人間を、研修で何人か日本に連れて行って、日本の技術や、考え方を身に付けさせるのだが、戻ってくるなり、元の状態にすぐ戻ってしまう。

何よりも、自分だけが浮く、ということを極端に恐れるのだ。
フィリピン人は、上司に叱られるより、仲間からのけ者にされる方をもっと嫌う。

これでは、個人的レベルアップは望めない。
それではどうするか?
こうなると、全体の平均値を上げていくしか方法はない。
何らかな方法で、集団の平均値を上げていけば、道は開けてくるはずだ。

この何らかの方法を探ることこそが、これからの課題である。

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日本人の仕事 [仕事編]

日系企業以外で、色々な場所やショップで、フィリピン人にものを頼んでも思い通りに行かない、という話はよく聞く。

スーパーマーケットや携帯など各種電話会社、CTV、役所、いずれをとっても、いい対応を受けた人は少ないだろう。
単純な申し込みや支払いなどでも、『何でここまで待たされるのか』、と思わせるくらいに遅々として進まないことが多い。
役所など、たった一枚の証明書を取得するのに、半日は掛かってしまうこともある。
日本人はこれを我慢出来ない。

もともと苦情処理の苦手な国ではある。

自ら、よその国を侵略したことは一度もなく、ずっと他国の支配ばかりを受けてきたこの国の人たちは、必然的に言い訳がうまくなってしまった。
そういう言い訳に対して、同国人であるフィリピン人ですら、あっさりと抵抗なく引き下がってしまう。

これでは、苦情処理に対するマニュアルなど生まれるわけがない。
逆に、言い訳のマニュアルが存在するのか、と思わされるほど、それらは多彩である。

いつまでも窓口などで大声を出して、怒っているのは日本人ばかりだ。
欧米人でさえ、こういう言い訳を聞くと、あきらめて帰ってしまう。

フィリピン人の目から見れば、そういう日本人こそ異常に映るのだろう。

この国の人の中で、、パーフェクト主義者といえる人は、残念ながら相当少ない。
日系企業といえども、教育には限度がある。
外部からコンサルタントやインストラクターを招き、日本語教育、5S、環境問題等について講義、  研修を受けさす企業もある。
ある程度効果は上がるが、基本的に育った環境も違うので、完璧に理解を求めることは期待出来ない。

多くの日本人の中には、日本のやり方のみが正しいと信じて疑わない人がいる。
最もかもしれないが、これをいつまでも抱えてフィリピン人に接しても、進歩は望めない。

何度も繰り返すがが、ここはフィリピンで、ここでメインに仕事をするのはフィリピン人で、日本人はそのサポートに過ぎない。
極論のようだが、私は最近特にそれを感じている。
例え営業の仕事にしても、最初に日本人にアプローチした後は、ローカルスタッフにバトンタッチ、 取引が始まってフォローアップ、苦情処理位のものだ。

どこをどう押せば、フィリピン人がきちんと動いてくれるのか、を考えることこそが日本人の仕事だ。

日本から赴任して来たばかりの人が、ここで一番最初に悩むのが、このギャップであろう。
現地採用の人は、結構フィリピンに馴れた後、職につくケースが多いため、割と平気なのだが、職能のみで、フィリピンの知識がない人が、いきなり赴任してくると、相当戸惑ってしまい、果てはノイローゼ気味になる人もある。

真面目な人ほどこういうのが多いのだが、こういう人たちとは正反対に、来る前から『フィリピン秘密の花園』、を期待してくる人は、異常な程に適応力が高い。
一年も経つと、そうとうなフィリピン通になり、私など足元にも及びなくなる。

『好きこそ物の上手なれ』で、こういう人はフィリピン人ともうまく付き合える人が多い。

但し、現地化は、程ほどにしなければならないが.........。

もともと駐在員にしろ、現地採用にしろ、フィリピンで働く日本人と、カラオケのお嬢様たちとの格闘の話題は、避けては通れない問題だ。
この件については、後日紙面を割きたいと思っている。

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ファミリープロブレム [仕事編]

この問題は、どこの会社にも共通する、究極の悩みだと認識している。
自分の病気以外で、急に休む場合の理由は、殆んどこれであると言っていい。

子供の病気しかり、奥さんの病気、とにかく一所に住んでいる家族の中に、誰か一人でも病人が出ると、必ずと云っていいほど休んでしまう。

入院でもすれば、一週間連続して休み、というのも珍しくない。
子供の病気の場合、奥さん(もしくは旦那さん)が面倒見ればいいだろう、と考えるのは日本人だけだ。

フィリピン人の家族思い、というのは日本人には想像し難い面がある。

貧困な家庭に育った者ほど、その傾向が強い。
例えば、六畳位の狭い部屋に家族6,7人が暮らしている、というのはザラにある。

寝る時などでは、手や足なり、みんなの肌と肌が重なり合うようにして眠る。
起きていても、常に固まるように暮らしているから、家族の絆はますます深くなる。

病気にでもなろうものなら、家族総出で看病だ。
一年365日、ずっと家族と一緒。

こういう環境に育った人間に『あなたにとって家族とは何?』、と問うと誰でも『家族は私の体の一部です』、と答えるに違いない。

たとえ兄弟でも別々に自分の部屋があり、親でも子供のプライベートに干渉しない日本では、ますます家族離れが深刻だ。
只、これを以って日本がいい、とかフィリピンがいいとか、なかなか云えない。

フィリピンの大家族型のファミリーは年々減少の傾向にあり、最近のフィリピン人は、子供の数を二人、せいぜい三人位までに抑える傾向にある。

それだけ堅実になってきたと云えるが、一部の貧困家庭では相変わらずの子沢山、という所もまだまだ多い。

貧困度とファミリーの絆の強さの正比例はさて置き、この問題には私は全く歯が立たない。
所詮、会社規則などでこれらを縛っても、会社への反発が大きくなるだけで、全く効果はない。

それより、いつ突然休まれても対応できる、バックアップ、発生後のリカバリー等のシステムソリューションの構築のほうが先決であろう。

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フィリピン人の本能 [仕事編]

明日が会社のアウティングの日なので、今日がデリバリーになった。
今日は忙しくなる。
と、いうことで、明日あさって更新できない分、今日はもう一本あとでUPしよう。

さてアウティング、フィリピンのどこの会社の従業員でも、これを楽しみにしている。
勿論、そういった会社主催のベネフィットのない会社もある。

日系企業ではどうだろうか?

景気にもよるだろうが、80%位の会社は実施しているのではないだろうか?
行く先は毎年様々であろうが、会社の幹事はこれに、仕事そっちのけに没頭する。

クリスマスパーティーの時も同様なのだが、この集中力が、普段の仕事に生かされないのには、驚かされる。

日本でも、普段は昼行灯のような仕事をしている人が、いざ飲み会などになると、急に宴会屋になり、賑やかに場を盛り上げてくれたりする。

そういう意味では、この国の人たちは、宴会屋が多い。
ノリがいいというか、さすがエンターティナー立国だけのことはある。
アウティングの中で行うゲームにしても、多彩で皆を飽きさせない。

こういう風景を見ると思い出すのは、子供のころの自分である。
小さい時、遊び仲間と、よく似たような遊びをした覚えがある。

と、するとフィリピン人は、今でも基本的に子供のままなのだろうか?
心は子供のままで、身体だけが成長したのかも知れない。

馬鹿にして云っているのではない。

ある一定の知識層は別にして、いわゆる庶民の暮らしの中で、そのまま素直で純朴に育ってきたのかもしれない。

こう云えば反論はあるだろう。

カラオケのおねえさんに何回も騙されたり、泥棒に入られたりした人は、とても彼らが素直で、純朴だとは思えないに違いない。

極論を吐けば、人を騙す人も、泥棒を生業にする人も、素直に悪いことを受け入れたのではないか?。

『生活の為、家族の為』、の言い訳はどうにもやりきれないが、罪悪感の持ち方が、どうも日本人とはかけ離れているように思える。
大人に成り切れていないから、罪悪感が無いと云えないだろうか?

欲しいと思えば欲しいで、あの手この手で騙す、盗む、車の運転にしても、割り込みたい時は割り込む。
政治家でさえそうで利権が欲しい時は、人を殺してまで手に入れる。

我儘で短絡的なところは、子供の心境につながる。

これでは、本能のまま生きているとしか言い様が無い。

本能のままとは勿論、自制心に欠けているということだ。
人間は子供のうちは、本能で行動する事が多い。

何故、自制心に欠けるのか、恐らく、子供の頃の躾などの環境や教育から来るものに相違ないと思えるが、これは又別の機会に述べるとする。

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フィリピン人の計画性 [仕事編]

今日は月曜日だ!!、またまた、週の始まりを迎えた。
今週こそ、計画通りにデリバリーをこなさなくては...........。

計画といえば、フィリピン人に欠けていることとして、計画性と応用力、とよく言われる。
確かに、無計画に生きているとしか、思えない事柄にしばしば出会う。
貯蓄率もアジアの中では、最低らしい。

環境がそうさせるのだろうか?
環境といえば、日本には四季があるが、ここには、乾季と雨季の2シーズンしかない。

私が、特に言いたいのは、ここには、冬がないということだ。

よく知られた話に、フィリピン人を、アリとキリギリスとの童話に例えることがある。
アリは食べ物の無い冬に備えて、夏の間せっせと食料を蓄える。
一方キリギリスは、夏の間、音楽を聞いたり、歌を歌ったりと、働こうとせずに怠けている。

やがて冬が来たときに、キリギリスは食べるものがなく、アリに物乞いして断られ、後悔しながら飢え死にしてしまう。

しかし、フィリピンには冬が無い。

食べ物は、パキキサマ(助け合い)のおかげで、みんなから恵んで貰える。
着る物に至っては、年中Tシャツと短パンでOKだ。
飢え死にや、凍え死にの心配は無い。

バハラナ(どうにかなるさ)で、もう完璧。

『槍でも鉄砲でも、持ってこい』
『テコでも動かん』、とばかり、、働こうとはしない連中もいる。

日本では、『来年のことを言うと、鬼が笑う』、という諺があるが、
ここでは、『来週のことを言うと、鬼が笑う』だ。

今日100ペソ貰えるのと、来週まで待てば1000ペソ貰えるのと、どちらがいい?、と聞くと
大抵のフィリピン人が、今日の100ペソくれと言う。

さすがは、その日暮らしの達人ではある。

仕事に対しても、忍耐力や、努力は苦手という人が多い。
カンはいいのだが、それらの欠如によって、簡単に仕事を辞めてしまったり、安易に、海外に出稼ぎにいってしまう。

海外出稼ぎは、一画千金を狙ってのものだろうが、計画性のない海外労働は、家庭崩壊や犯罪につながる。
海外に出稼ぎに行くのでも、ある程度まとまったお金がないと、エージェントに支払う、仲介料や飛行機代がない。

親戚一同から資金を借りて、行く場合が多いのだが、留守中、家族が稼いでくるお金を当てにして、ギャンブルに手を出したり、借金をするケースが多く、帰ってきたと同時に、無一文になり、親戚にまで借りていたお金を返せなくなることも、しばしばだ。

別のケースでは、何年も、旦那もしくは奥さんと、離れ離れになる為に、浮気に走り、帰ってくるなりお定まりの大喧嘩、殺人事件までに進展することもある。

こうなったら、海外へ出稼ぎに行くことは、殆んど無意味どころか、ネガティブに作用する。
とにかく、強固な計画を持ち、自分の将来に対して、しっかりとしたコンセプトを持って
海外に出かけない限り、到底成功はおぼつくまい。

明日は、応用力について述べたい。

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『鈍すれば、貧す?』 私の憂鬱 [仕事編]

昨日は環境について少し述べた。
計画性が足りないのは、環境からくるものなのか?

今日は、フィリピン人の応用力について、考えようと思ったのだが、その前に違う話をしたい。
私は、この間のフィリピンの中間選挙以来、フィリピン国民のことを憂いている.。

最近、北朝鮮から亡命者が日本にやってきた。
最終的に、韓国に亡命を希望しているが、彼らは北朝鮮で一日おきにしか、パンを口にできなかったとか.........。

事情が違うといえばそれまでだが、フィリピンでは飢え死の話を、聞いたことが無い。

助け合い精神である地域主義のお蔭だが、その点、弱者には優しい国と言えよう。
働こうとしない(例え仕事があっっても)人間を、弱者と呼べるのかは疑問だが、そんな人間にさえ
手を差し伸べるのは事実である。

逆に強者(定義は曖昧だが、金持ちや外国人)には、容赦は無い。
クラブメンタリティの本領発揮で、隙さえあれば足を引っ張ろうとする。

『フィリピンホスピタリティー』、というのは、あくまでもその地域に暮らすフィリピン人同士の話で、
外国人に適応するとは考えない方がいい。

こういうと、乱暴なように聞こえるが、日本人に対しては、特にお金をもっていると思われているせいか、親切にしてはくれるが、何か見返りを期待して、そうしてると考えた方が良い。

そう思えば、親切にされた後、何かしら請求されても腹は立たない。
彼らは、強者は弱者に、何かを与えるのは当然だと考えている。

先般の中間選挙をみても、票の取り込みのため、候補者はあからさまに有権者に金品を与え、
有権者も当然のようにそれを受け取っていた。
彼らにとって、自分達の国を良くするということより、今すぐの恩恵が優先なのだ。

弱者のロジックとは、いつもそうしたものだが、しかし。自分達をいつまでも弱者だと、決め付ける体質にこそ問題はあろう。

やはり先ず、個人個人の意識改革というか、精神的な独立を、一人一人がするべきである。
政治家を批判したり、責任を押し付けたりするのではなく、彼ら自身が、変わっていかなければ、この国には将来はない。

私の尊敬する方に、国際アナリストで、フィリピンラサール大学の教授もしておられる、Y先生といわれる方がいる。
以前、仕事でもお世話になったのだが、そのY先生が、ご自身の著書の中で云われている。

フィリピン人は、『貧するれば、鈍す』、のではない、『心が鈍しているから、貧なのだ』、と。
もっともだと、私も思う。

フィリピン人の応用力については、明日改めて述べたい。

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フィリピン人の応用力 [仕事編]

フィリピン人に物を依頼する時に、余計な付加行動を期待してはいけない。

うちの会社では、原材料からある程度の型を作っておいて、最終的に機械加工して出荷する。

例えば、オフィスの女の子に『急な注文が入ったので、この品物の型が余剰在庫があるかどうか調べてきてくれ』、と頼むと、暫くして戻ってくる。

戻ってくるなり、椅子に座りっぱなしなので、『あったの?』、と尋ねると『ありました』、と返事が返ってくる。
『何ですぐ報告をしないの?』、というと『調べてくれとは言われましたが、報告しなさいとは聞いていません』
『........................』

これなら、
『もし在庫があったら、それを緊急品として加工に回しておいてくれ』、とまで云わないといけない。

マシンが故障したので、販売元に電話をさせた時、『OO君、電話したかね?』、と聞くと、
『ハイ、しました』、と返ってくる。
『むこうは何だって?』
『はっ?』
『だからいつ修理にくるの?』
『修理のことは、言うように聞いていません』
『...........』
『電話をするように云われたので、電話をしただけです。』

これも、
『マシンが壊れたから、販売元に電話をして修理にいつ来れるか聞いて、私に報告してくれ』、とまで云わないといけない。

似たような話は、皆さんも経験して、よくご存知だろうが、フィリピン人に物を頼む場合は、分割して頼んではいけない。
『自分のして貰いたいことを、起承転結にしてまとめて言う』
これしかない。

フィリピン人は、総じて素直ではある。
云い付けた事は、殆んどこなす。

只それだけである。
応用は利かない。

応用を利かすには、やはり地道な教育しかない。

思考力というのは、環境からくるものだと私は思うが、その点、『与えられるのをひたすら待つ』、
というこの国の体質からは、派生しにくいのではないだろうか?

従順なのは、自らの思考能力に欠けるからであろう。

倜儻不羈(てきとうふき)という言葉があるが、これは「信念と独立心を持ち、安易に人に左右されない」、という意味である。
これが、ここの人達に一番欠けている。

何とか這い上がろう、とする者ほど知恵が働くものだが、独立心を持ったフィリピン人で、工場で働いている人間は少ない。
もっともいれば皆、海外へ働きに行ってしまう。

残るのはそれこそ、応用力の利かないフィリピン人ばかりになる。

残った彼らをどう、『応用力のあるフィリピン人』、にするかまだまだ私の道は険しい!!

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